5歳で来日
13歳で磐田に移住したことが大きな転機に
ブラジル南部パラナ州クリチバ出身のパウロ・リカルドさん。幼少期はクリチバの自然豊かな土地で育ちました。野外では7歳年上の兄とサッカーを楽しみ、家の中ではドミノで遊んだりとのびのびとした環境で暮らしていたそうです。
5歳の時に両親の仕事の都合で来日。長野市で小学校時代を過ごします。日本の小学校に通っていたため、来日当初は言葉の壁を強く感じたそうですが、13歳で磐田に移住したことが転機に。パウロさんと同じような境遇の子どもたちと接することでポルトガル語交じりの日本語で会話し、日本とブラジルの文化を認識することができたそうです。
前半はブラジル時代と学生時代の話を中心にお届けします。
(聞き手 三井忍) / 写真提供:本人 ※インタビュー時期:2025年8月
生まれ育ったブラジル南部パラナ州クリチバの街について教えてください
ブラジルの最大都市・サンパウロから南西に約400キロの場所にある都市です。緑豊かな場所で祖父母の家が川の近くにあり、よく遊びに行っていました。今は壊されてしまったため無くなっていますが、滝が有名な街でした。


ブラジルの魅力について
ブラジルはアフリカ系、イタリア系、ドイツ系、日系など、いろいろなルーツを持っている人が暮らしている国です。それぞれの国の文化や伝統など、「多様な考え方があるのが当たり前」と思う人が多いように感じます。ブラジルのサンバを象徴するように、人々が何より明るくてエネルギッシュなところが魅力です。
2014年、約20年ぶりにサッカーワールドカップの仕事でブラジルに行きましたが、ご近所同士で家の前に机を並べてサッカー観戦している姿を見て、人と人との繋がりを大切にしている人たちに感銘を受けました。知らない人に話かけてもフレンドリーに答えてくれて、誰に対してもウエルカム感があるのはブラジル人の温かさだと思います。

「コルコバードのキリスト像」
両親の仕事の都合で5歳で来日。長野県での暮らしはいかがでしたか
長野市松代町に住んでいました。松代は真田家が治めた旧城下町で、学校で真田節を踊るなど歴史的背景が色濃い街でした。京都に近いような印象があります。
来日して地元の小学校に入学しましたが、当時、日本語が分からず、学校生活は苦労の連続でした。学校には外国人が少なく、僕の他には上級生に日本生まれのブラジル人が1人いるだけでした。外国人が少なく珍しい環境の中で育ち、自分が何者かよく分からず、自問自答する時期もありました。居場所がなくてつらいこともありましたが、日本語を少しずつ理解していくことで問題を解決していきました。


13歳で磐田に移住して同じ境遇の子どもたちがたくさんいたそうですね
長野から磐田に引っ越しました。磐田では同じ境遇の外国人たちがたくさんいて安心しました。ポルトガル語交じりの日本語でコミュニケーションを取るようになり、ブラジルと日本の両方のことをきちんと学べるようになったのも磐田に住んだお陰です。
外国人がたくさんいる環境にガラリと変わり、友達ができたことで言語の問題もクリアされていきました。
磐田市内の中学を卒業後、工場で働き始めたパウロさん。同僚とコミュニケーションを積極的に取り、日本語力に磨きをかけたそうです。20代前半で日本語能力検定N1合格。その頃から元々興味のあった美容の分野の「ヘアメイク」を仕事にしたいと思うようになり工場勤務をしながら学校に通い「ヘアメイクアーティスト」の資格を取得します。2014年に母国で開催のサッカーワールドカップ・ブラジル大会にヘアメイクアーティストとして参加。2016年には第10回全日本ヘアメイク選手権ファイナリストとして実績を積みます。名古屋のカメラマン・モデル事務所で2年半の修業後に豊橋の美容室勤務を経て、2023年に独立。「若い人たちが夢を諦めずに第一歩を踏み出すきっかけになってほしい」という思いから外国ルーツの方たちの教育活動にも関わっています。
後半はヘアメイクの仕事について聞きました。
世界で活躍するビューティーアーティストへ
外国にルーツを持つ人たちの支援も
中学卒業後に工場で働きながら日本語習得に磨きをかけたそうですね
15歳で工場で働き始めました。指導してくださる年上の方と関わることで敬語を覚え、積極的に話かけることで日本語が上達しました。仕事をしていく中で周りの空気を読んで行動することも覚えました。
20歳ごろには日本語能力検定のN1を取得し、日本語の細かいニュアンスも読み取れるようになりました。

ヘアメイクの学校に通うことになったきっかけについて
漠然と工場で働く中、リーマンショックの時期に、解雇される人の名前が書かれた紙が壁に貼りだされたのを見て、「本当は何がやりたいのか」と考えるようになりました。子どもの頃からファッションや美容に興味がありテレビや雑誌で活躍している人たちをより魅力的にしている男性の「ヘアメイクアーティスト」の活躍をテレビで見て、自分もチャレンジしてみたいと思うようになりました。工場で働きながらヒューマンアカデミー浜松校でヘアメイクを学びヘアメイクの資格を取得しました。

ヘアメイクの仕事の楽しさはどんなところでしょうか
その人が持っている美しさを最大限に引き出し要望に応えられた時がとてもうれしいですし、楽しい瞬間でもあります。理想に近づけるように念入りにヒアリングをしながら仕事を進めています。お客さまから「今日は来てよかった」「キレイにしてくれてありがとう」という感謝の気持ちを直接伝えていただける職業はやりがいがあり、何より自分自身への最大のご褒美の言葉です。同じことが二度とない「一期一会」を大切にしながら毎日向き合えることが幸せだと感じています。

ヘアメイクの資格取得後の活動について
名古屋のカメラマン・モデル事務所で広告や雑誌、イベントのヘアメイクとして2年半修行しました。緊張感のある現場で写真やメイクの仕事に携わり、プロの技術を肌で感じながら習得しました。とても厳しい事務所で大変なことが多かったですが、大変だった分だけ自分の力になったと思います。
その後は豊橋の美容室に転職。美容室が経営する専門学校で講師をしながら、ヘアメイクだけではなく衣装製作にも取組むようになりました。
2023年に独立。浜松を拠点に衣装製作、ヘアメイク、美容学校の先生と活動の幅を広げて活動しています。



外国ルーツの方たちの教育にも携わっていると聞きました
ブラジル人オーナーのサロンで勉強しているブラジル人のサポートをしています。美容の技術は持っていても言葉の壁があるために活躍できない外国ルーツの方たちが自立してヘアメイクの仕事ができるようお手伝いをしています。言葉の壁の問題は自分が幼少期に体験し、大変さがとてもよく分かります。ポルトガル語と日本語の両方で授業を行い、必ず日本語で伝えなくてはならない場面などしっかりポイントを押さえながら教えています。人の役に立つ講師の仕事も自分のスキルアップのために大切な仕事です。

ヘアメイク、講師の仕事以外に折り紙や不織布で衣装を作る仕事もしているそうですね
工場に勤めている時に同僚から「パウロの夢が叶いますように」と千羽鶴をもらったことがきっかけで、折り紙の美しさに魅了されるようになりました。折り紙をいくつも重ねて立体的な美しい造形美に生まれ変わらせることを応用し、唯一無二の衣装を製作しています。日本とブラジルのふたつの文化にインスピレーションを受けた作品も多数製作しました。
ブラジルから日本に来てさまざまな経験をしたことがヘアメイクと衣装製作に活きています。

【兆・KIZASHI】

【鶴の舞・TSURUnoMAI】

【薔薇・RED ROSE】
パウロさんの作品製作に対する思い
第二の母国である日本
伝統的な美の一つである【折り紙】
平面である紙を素材に具現化するというのは
私が想像する人物像や空間を創りだす為の一つの技になります
立体に構成され集った紙は
一体となり創造力の世界観を生み出してくれます
紙を折り曲げる、そして創造する行為は
日本ならではの【千羽鶴】に少し似ていると感じています
それらは私にとっての【一期一会】
二度と訪れないかも知れないこの瞬間を形に
何枚も何枚も、折り続けます
そして私は、祈ります
まるで私の作品は【願いが叶う千羽鶴】
【折り紙】だと例えます
仕事の拠点の浜松の良いところや印象について教えてください
浜松は温暖な気候でとても住みやすい街だと思います。ゆったりした雰囲気でとても気に入っています。外国人と共生している街だとも感じます。公共施設に行けば、ポルトガル語をはじめ、英語や中国語の案内があり、日本語が分からない外国人でも住みやすいと思います。

「アクトの森 ショパンの丘」
落ち着く場所で気持ちのリセットをしたい時に訪れるそうです
今後について聞かせてください。
自分自身がもっと成長できるように色んなことにチャレンジをしてビューティーアーティストとしての幅を広げていきたいと思います。母国ブラジルでも活躍できるよう日々精進していきたいと思います。
今後の活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
パウロ・リカルド(Paulo Ricardo)
1989年2月9日 ブラジル南部パラナ州クリチバ生まれ
1994年 5歳で来日 長野県松代町へ
2001年 13歳で磐田市に移住
2012年 ヒューマンアカデミー浜松校入校
2014年 ブラジルワールドカップ ヘアメイクとして参加
2016年 全日本ヘアメイク選手権ファイナリスト
3年間名古屋のカメラマン・モデル事務所に入り写真やメイクの技術を習得。
その後、豊橋の美容室を経て2023年独立。浜松を拠点に活動中
