周りとは違う容姿に戸惑うこともあった小学校時代。この経験があったからこそ視野が広がり世界に
静岡県清水区生まれの入江純美さん。フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれました。日本生まれ日本育ちの入江さんは幼少期の頃から日本とフィリピンの文化に違いがあることを認識します。肌の色の違いで小学校時代につらいこともあったそうですが、母親が人種の違いについて学校で演説したことで状況がガラリと変わり、周りからの視線に変化があったそう。つらいことを乗り越え過ごした小学校時代。その経験が自分の人生の可能性を広げてくれたと入江さん。世界に目を向け、広い視野で物事を考えるようになり中学卒業後、フィリピンのインターナショナルスクールに通う決断をします。前半はフィリピンのこと、小学校時代の話を中心にお届けします。
(聞き手 三井忍) / 写真提供:本人 ※インタビュー時期:2025年9月
お母さんの故郷はどんな場所ですか
フィリピンの首都マニラから南に車で2時間ほどの街「カヴィテ」出身です。フィリピン人は「楽しむことは悪いことではない」という考えの人が多く、家の外に出れば子どもたちが走り周り、ワイワイガヤガヤしていてもそれが普通のことでした。日本はフィリピンと真逆で「周りに迷惑をかけてはいけない」という風習です。文化の違いがとてもよくわかる行動だなと思います。フィリピン人はいつも陽気で明るい人が多く、日々楽しむことを大切にしているという印象があります。物価も安く、「カヴィテ」は住みやすい土地でした。エアコンが1家に1台という家庭が多く、当時は窓を開けっぱなしでも治安的に大丈夫な場所でした。

入江さん・いとこ

小学校時代の思い出を教えてください
小学生の頃が、一番心が揺らいでいた時期です。勉強はあまり得意なほうではありませんでした。友達と普通に過ごしていても、何かみんなと違うなと違和感を覚えた時期でもありました。同級生の皆から肌の色で何かと言われ、つらい時期でした。登校拒否になった時に私の知らないところで母が学校に行き、肌の色や人種について理解を深めるための緊急の学年集会を開いて演説したことを後日、友人から聞きました。その後はピタリと収まり、学校に通うことができましたが、このつらい経験をしたからこそ、みんなと同じことをするのではなく、自分らしくいたいという想いが強くなりました。


お母さんが日本に来たきっかけについて
母はフィリピンの伝統芸能や民族舞踊を歌や踊りを通して世界に発信する「カルチュラルダンサー」として来日しました。現在は清水の高校で英語の教師をしています。



お母さんが作るフィリピンの家庭料理について教えてください
「アドボ」は豚肉や鶏肉を酢醤油で煮込んだ料理です。「シニガン」は野菜たっぷりスープで野菜の他にお好みで海老や豚肉、魚など入れてタマリンドで味付けした酸っぱいスープです。フィリピンの人は甘酸っぱい味つけが大好きです。私も母の故郷の料理が大好きでよく作ります。


日本の良いところはどんなところでしょうか
生活環境が抜群にいいところです。交通ルールもしっかりしているし、決まり事がちゃんとあるのはとてもいいことだと思います。長く住むなら日本は最高の国です。
浜松の印象や住んでみて感じたことを教えてください
結婚を機に浜松に来ましたが、お祭りが本当に多いなという印象です。夏になると毎週末聞こえてくる花火の音に子供たちが行きたいと反応しています。 あとは公園がたくさんあるところは素晴らしいです。海外からの友人が浜松に遊びに来た時は「弁天島」「中田島砂丘」「レストランさわやか」などに連れて行きます。景色も食べ物もおいしく素晴らしい土地です。
「言葉」の架け橋として
行政書士事務所で通訳・翻訳として活躍
地元の中学を卒業後、フィリピン行きを決めた入江さん。イギリス本国の教育制度に基づいた英国ナショナルカリキュラムを採用している学校で世界中から学生が集うエリート校「インターナショナル ブリティッシュアカデミー」に入学しました。さまざまな国の文化や人間性に触れる中で「国連」で働きたいと思ったこともあったそう。高校卒業後は駒澤大学法学部法律学科に入学。外国人ルーツの家族に何かあった時に助けられるように法律を専攻したそうです。大学卒業後は東京のエンタメのプロダクションで働き、その後、地元・清水に戻り司法書士事務所に勤めます。結婚を機に静岡県西部に拠点を移し、現在は浜松在住。行政書士事務所で補助者をしながら、英語・タガログ語を活かした仕事をしています。
後半は仕事の話をメインにお届けします。
インターナショナルスクールに通うことになったきっかけについて
母がとてもバイタリティーがある人でチャンスを自分でつかみにいくようなタイプでした。人生楽な方に流されることは簡単だけれど母のように真反対の生き方を傍で見ていたので、みんなと同じ道ではなく新しいことにチャレンジしてみたい思い、15歳でフィリピンの叔母の家に下宿しながら高校に通いました。
フィリピンの学校は9月から始まるため、中学を卒業してからフィリピンに出発する直前まで地元のイタリアンレストランとスーパーのレジ打ちのバイトを掛け持ちして人生経験を積みました。「行動を起こせば何でもできる」という実績が自信につながったと思います。

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インターナショナルスクールはどんな感じでしたか
私の通っていた学校は世界中から生徒が集う学校でした。国によって生活スタイルや考え方が異なります。さまざまなルーツの人たちが一緒に勉強するなかでお互いを認め、理解しあうことはとても大切なことだと改めて感じました。高校時代、国と国とをつなぐ「国連」の仕事に興味を持ったことを覚えています。

インターナショナルスクール時代①

インターナショナルスクール時代②
インターナショナルスクール卒業後に駒澤大学法学部に進むことになったことについて
英語を生かす学科も選択肢にはありましたが、あえて法学部を選んだのは人生にとってプラスになるような勉強をしたかったからです。外国ルーツの家族たちに何かあったら守ることができますし、何より法律を学んでマイナスになることが何ひとつないと思い法学部に進みました。後に、法学部での経験が仕事につながりさまざまな場面で有利に働き、当時の選択は間違っていなかったと感じています。

現在は行政書士事務所で補助員として通訳をしながら外国人のみなさんの力になっているそうですね
自分にできることは何でもしたいと考えています。海外にルーツを持って本当に良かったと思うことは言語取得の環境に恵まれていたことです。日本語・英語・タガログ語と3つの言語を使うことができるため、行政や法律で外国人には難しい内容も的確に伝えることができます。言語を使って人助けができることがとてもうれしいことですし、お客さまから「入江さんがいる時間帯に事務所に行きたい」と言っていただけるとやりがいがとてもあります。相手が何を伝えようとしているのかを汲み取り、正確な言葉で気持ちを通訳してあげることも大切にしています。
今思えば、学生時代から生活していくうえでよく通訳を頼まれることも多かったです。人の役に立てることが私の幸せなのかもしれません。
語学習得のポイントを教えてください
耳で慣れておくことが大切だと思います。特定の英語を調べるときに、「英英辞典」を使うなど、英語で英語を学んでみると単語の使われ方など分かってくると思います。あとは現在学校で勉強をしているのであれば、予習復習は必須です。私は中学校1~3年の英語の教科書をすべてホッチキスで留めて重ねて1冊の本のようにして使っていました。フィリピンのインターナショナルスクールで大活躍でした。
現在の仕事内容と仕事への思いを聞かせてください
古橋洋美行政書士事務所の行政書士補助者として仕事をしています。その延長で通訳、翻訳業務を含めて業務を行っています。常に学ぶ姿勢を大切にし、言葉の架け橋となり、仕事を通じて成長していきたいです。また、正確で分かりやすい通訳を心がけ、お客さまに信頼いただけるよう努めています。
今後やりたいことや目標について教えてください
日本に出稼ぎに来ている方の子どもが本国で暮らし家族が離ればなれになっているケースが多いです。VISAの問題があることは分かっていますが、国に取り残されている子どもたちは夢や目標を見失いチャンスをつかめない子もいるのではないかと感じています。言語の面をサポートし、子どもが日本の学校に通い、家族みんなで一緒に暮らせるようなシステムが作れたらいいなと思っています。
今後の活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
入江純美(Masami Irie)
生年月日1989年(平成元年)12月3日
学歴
2005年3月(平成17年) 清水市立飯田中学校卒業
2005年9月(平成17年) インターナショナル ブリティッシュアカデミー(海外) 入学
2008年4月(平成20年) インターナショナル ブリティッシュアカデミー(海外) 卒業
2008年4月(平成20年) 駒澤大学 法学部 法律学科 入学
2012年3月(平成24年) 駒澤大学 法学部 法律学科 卒業
大学卒業後は、都内のエンタメのプロダクション勤務。退職後は地元・清水の司法書士事務所に勤め、結婚を機に静岡県西部地域に移住。現在は浜松市で暮らし、古橋洋美行政書士事務所の行政書士補助者・英語&タガログ語通訳として活躍。




