子どもたちの柔軟な考え方や自己成長につながるよう寄り添い全力でサポート
オーストラリア・シドニー出身のジェシー ナサニエル ライツィンさん。オーストラリアではプロのドラマーとして音楽の世界で活躍していました。23歳で日本人との結婚を機に来日。来日後は義父と一緒に働き、日常会話は仕事を通して習得したそうです。日本語が上達した頃から東京のこども園で講師として働きはじめ、教育の世界に活動の場を移します。2022年から拠点を浜松に移し、生活しているジェシーさん。現在は聖隷クリストファー大学附属クリストファーこども園の講師として活躍しています。仕事や浜松の印象について伺いました。
(聞き手 三井忍) / 写真提供:本人 ※インタビュー時期:2025年9月
現在の仕事について教えてください
東京のこども園で働いていた時の同僚に誘われて4年前から「聖隷クリストファー大学附属クリストファーこども園」の講師として働いています。3歳児クラス「ひつじ組」の担任の一人として47名の子どもたちを受け持ち、遊びや音楽を通して、子どもたちが生き生きと楽しく過ごせるようにサポートしています。日本語と英語を使い分けて子どもたちと接することにより、どちらの言語を使用している子どもたちにとっても同じように「日常」になります。多様性を受け入れる環境を整える役割も担っています。

ジェシー先生
働きやすい環境が整っているそうですね
しっかりとした教育カリキュラムが組まれており、システムとして確立していることから質の高い仕事ができています。自分が教育者としてやってきたことを評価してくれるため「もっと園に貢献しよう」という思いを強くさせてくれる職場です。人間ですから時には失敗することもありますが、その失敗が次の経験になり成長していけると感じています。ポジティブサイクルができることで、よりよいものに繋がっていくと考えています。意見などもしっかりと受けとめてくれ、問題解決に積極的に関与してもらえる職場だと思います。


オーストラリアの自身の幼少期の暮らしと今の日本はどのように違うと思いますか
自身の幼少期は、子どもの頃から一人でバスに乗って小学校に通っていました。両親が共働きだったため、帰宅して親がいなくても自分ひとりで遊ぶことができましたし、何でもやっていました。自宅から20分離れた場所のビデオ店に歩いていきビデオを借りたり、タッチフットボールで遊んだり。小さい頃から独立心が自然と備わる環境でした。オーストラリアは早い段階で子どもの自尊心を大切にし、高く評価している国だと思います。 現代の日本の子どもたちは情報過多の中で生きているため、いつも側に誰かいたり、常に何かが起こっていたりと、忙しくしている印象があるため1人でいる時間が無いように感じます。ぼーっとする時間や1人でいる時間を持つことで、自分自身を知るきっかけや行動力に繋がっていくと考えています。自分自身を大切にする心が生まれることで、最終的には隣人を思いやる人に成長していくのではないかと思います。今は何でもある時代です。まわりに振り回されずに一人の時間を大切にして自分自身を知る機会を小さな頃から増やすことが大切だと思います。

幼少時代
日本に住むようになって考え方など変化はありましたか
オーストラリアはYES、NOを示しますが、日本はハッキリと物を言わない文化があると思います。空気を読んで、周りを見て行動する人が多いと感じました。感情が顔に出てしまうタイプですが、日本に住むようになってから少し変わった気がします。日本の「わび・さび」も理解し、上手に暮らしていけるようになりました。少し残念に思うことは、日本人は公私を分けて物事を考えることでしょうか。例えば、病院のリハビリなどで先生と仲良くなっても、病院に通わなくなるとそれっきりの縁になってしまうことです。そこで生まれた人との繋がりを大切にしていいのではないかと個人的には思います。
最後に浜松の魅力を教えてください
東京に住んでいた頃は人の多さが苦手でしたが、浜松は自然が多く、時間帯によりますが、道路もスムーズでとても住みやすいです。趣味で自転車に乗りますが、浜名湖のオレンジロードなど、サイクリングを楽しめる素敵な場所がたくさんあります。自転車好きな外国人同士が集まり、みんなで色んなところに行きます。異文化交流はとても面白いです。
また、浜松は楽器の街でもあります。オーストラリア時代はプロのドラマーとして活動していましたのでセッションの話があれば現場に行き、みんなで音楽も楽しんでいます。「自然」と「音楽」が両方楽しめる浜松は素晴らしい街だと思います。


ジェシー先生
今後の活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
ジェシー ナサニエル ライツィン(Jesse Nathaniel Reitzin)
1977年7月25日 オーストラリア・シドニー生まれ
オーストラリア時代はプロのミュージシャンとして活躍ドラム担当
23歳の時に結婚を機に来日
東京のこども園で講師の仕事を経て、4年前から聖隷クリストファー大学附属クリストファーこども園の講師として活躍




