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インターカルチュラル・シティ:活躍する外国人市民インタビュー:Vol.12 英語教師 飯野ホランさん

英語は世界の共通言語
子どもたちが第二言語として自由に使えるようにお手伝い

モンゴル国ウランバートル出身。モンゴルは1992年まで社会主義、その後民主主義に移行し激動の時代を経験したホランさん。4~6歳まで公務員の父親の仕事の関連でロシアに滞在し、幼少期にロシア語をマスターしました。ロシア人外交官と接することで母国語以外の言葉に興味を持ち、1992年にモンゴルが民主主義になってからは外国人が多くモンゴルに訪れるようになり英語の勉強も始めました。看護大学で看護師の資格を習得後、英語を本格的に学ぶためモンゴル国立教育大学・英語専攻科に入学しアメリカ留学も経験し世界を広げました。

教育大学時代に日本人と結婚したホランさん。大学卒業後、ご主人のインドネシア転勤に伴い、インドネシアの大学でインドネシア語を取得。お子さんのカナダ留学に帯同し、自身はカナダの大学で幼児教育を学びました。現在はカナダの大学で学んだ知識を活かし、浜松のインターナショナルスクールで2~6歳までのクラスを担当し英語で授業を行っています。英語は世界共通言語という認識のもと、英語を理解することで世界がより近くなり視野広がると考える飯野ホランさんに英語教育の大切さや教育を通して子どもたちに伝えたいことを伺いました。

生まれ育ったモンゴル時代の話を聞かせてください

92年に社会主義から民主主義に代わりロシアに管理・コントロールされていた国が外国人を受け入れ解放的になりました。社会主義時代に公務員の父の転勤でロシアに住んでいたことがあり、ロシア語を学ぶきっかけとなり言語に興味を持ちました。当時、付き合いのあったロシア人外交官がとても素敵で友好的な方でいろんな話をしてくれたことが記憶にあります。実生活では民主主義になったばかりの頃はロシアからの物流がストップし、物が何もなくなるという経験もしています。国が大きく変わる激動の時をモンゴルで過ごしました。

7歳の頃。モンゴル時代にロシアの友人と

モンゴルでは看護大学と教育大学を卒業されていますね

看護大学に通っている頃に社会主義から民主主義へと国が変化しました。小さい頃から人の体や精神に興味があり医者になることも考えていましたが、民主主義になり、英語圏の人が多くモンゴルに入ってくるようになりました。もともと言語に興味があったことから、医者ではなく看護師の資格を看護大学で取得し、その後、モンゴル国立大学の英語科に入学し、本格的に英語を学びました。英語を理解することで世界中の情報を知るとことができ、言葉が分かることで視野が広がる実感をしました。

英語を学ぶことで見えてきたものはありますか

社会主義時代は外からの情報は全てシャットダウンで日本もアメリカもよくない国だと教えられてきましたが、民主主義になり英語を学ぶことでいろいろな国の情報を英語の文献を通して知ることができました。自分の国のルーツやなりたち、シャットダウンされてきた自国の過去を知ることができました。日本やアメリカの歴史も学び、自分自身の目でどんな国か確かめてみたくなり、モンゴル国立教育大学時代にアメリカのダラスに留学したこともあります。英語を話せることで現地の人たちとの交流も自然にできアメリカという国を自分自身で確かめることができてよかったです。

教育大学生時代、通訳として働いていた場所で現在のご主人(日本人)に出会い結婚。来日し日本での生活が始まったホランさん。来日後、すぐにご主人の転勤が決まり拠点がインドネシアとなりました。バイタリティーあるホランさんはインドネシアの大学に通いインドネシア語をマスター。出産を機に、日本に戻り日本での生活が始まりましたが、日本語をまだ十分に理解していない頃は苦労したそうです。当時はスマホの翻訳機などなく、外国人に決して優しくない環境の中で子育てに奮闘したと話すホランさん。日本語教室に通いながら、自習を重ね日本語能力試験N1に合格し、日本語もマスターしました。現在はモンゴル語、英語、日本語、インドネシア語、ロシア語の5カ国語を話すマルチリンガルです。

2020年からインターナショナルスクールの教員として働き、世界で感じてきた経験を子どもたちに伝えながら日々奮闘しています。

後半は来日から現在までの話を伺います。

来日して大変だと感じたことは何でしょうか

当時はスマホでかざして翻訳する・・・なんて便利なものがなかった時代です。今は英語表記やポルトガル語表記の案内板を目にすることが多くなりましたが、私が来日した当初は皆無でした。外国人に対してのサポート体制も整っていなかったため、書類1つに関しても苦労しました。子供が小学校の時にPTAの広報役員に選出され、議事録を日本語でまとめるのに一苦労しました。英語で書いて、主人に日本語に訳してもらい自分でまとめて議事録を提出していましたが、大変な作業でした。日本は連絡帳やその他お知らせ事項など、学校への連絡をノートに記す習慣が当たり前になっていますが、日本語の理解が難しいころは苦労しました。

日本語の習得はどのようにされましたか

日本語教室に通いながらひたすら自習を重ねました。モンゴル人は日本人と区別がつかないほど雰囲気が似ているため学校行事など「あなたなら出来るでしょう」というプレッシャーが厳しかったことを思い出します。その悔しさやつらさをバネに頑張った気がします。来日して3年で日本語能力検定N1を取得しました。語学の勉強が好きだったこともプラスに働いていたと思います。

現在は浜松のインターナショナルスクールで教師をされていますが、どのような授業を行っていますか

すべて英語で子どもたちと会話をしています。5歳の子どものクラスを担当していますが、日本語の理解力が備わっている子どもの半分が英検4~5級にチャレンジしています。英語のシャワーで英語に親しみ、慣れてきたら文字で英語を認識する教育です。

HugMeインターナショナルスクール浜松で
子どもたちに英語でモンゴル文化を紹介

色んな国で過ごしてきたホランさんが日本の子どもたちに感じていることはなんですか

カナダで子どもの教育について学びました。日本の子どもは親や周りの顔色を伺って感情をうまく表現できない子が多いと感じています。泣きたい時には泣いていいと思いますし、つらいときにはつらいとハッキリ言っていいんだよと話しています。感情の表現は暴れたり騒いだりするという意味ではなく、自分の心としっかり向き合っていま何を感じているのか口に出して解決に導く方法です。子どもにとっては感情を表すのは成長過程でとても大切なことだと思います。

カナダの大学で幼児教育について学びました

日本の良さをどのように子どもたちに伝えていますか

日本はルールを守る、時間を守る、約束を守るなど当たり前にできていますが、世界からみると決して当たり前のことではありません。日本人は誇れる民族です。子どもたちに素晴らしい国に生まれて、しっかりとした教育を受けられていて幸せなことだということを伝えるようにしています。

英語教育の大切さについてはどのように考えますか

英語を第二言語として自由に扱えるようになると、子どもたちにとって将来の選択肢が増えると思います。日本は小学生から英語教育を行っていますが、英語を使う場面が少ないため、英語を言語として使う習慣がありません。テストの点を取るだけの英語教育ではなく世界中の人と会話するツールとして英語を使うような場面が多くなるといいと思います。世界共通言語を使いこなすことで将来の幅がぐんと広がると思っています。

仕事以外の活動として外国人のお母さんのために通訳をしているそうですね

自分自身、日本語があまり話せない時に学校の行事なでとても苦労しました。お母さんたちに日本の学校での行事や仕組みを説明し、安心して子どもが学校生活を送れるようにサポートしています。

外国人のお母さんも日本語がしゃべれるようになって欲しいと願っているそうですね

周りのサポートがあるため、日本語を覚えなくてもいいと思っているお母さんが多いと感じています。日本で生まれた子どもは母国語より日本語の理解力が高くなっていきますが、お母さんは日本語が話せないことにより自分の子どもと会話がなくなっていくと聞いています。通訳の仕事は困っているお母さんを助けるために活動していますが、出身国でコミュニティができているため、間違った情報をそのまま受け止めてしまう場合も多いようです。お母さんたちにも日本語を積極的に学んでもらい、学校や地域のコミュニティに積極的に入っていってほしいと思っています。

これからについて聞かせてください

カナダの大学で幼児教育について学びました。現在インターナショナルスクールでは英語で子どもたちと接し、日々成長を感じています。日本の子どもたちが自由に英語を使いこなし、世界をまたにかけて働けるような環境に日本全体がなればもっと素晴らしいものになると思います。そのお手伝いをさせていただけたらと思っています。

モンゴル国からドルノゴビ県知事訪問団が静岡に。
通訳の仕事でたずさわっています

~今後の活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。

(取材時期:2023年11月)

飯野ホラン
1974年生まれ。モンゴル国 ウランバートル出身

1991-1993 モンゴル国立医科大学看護学部卒
1993-1997 モンゴル国立教育大学卒
1999-2000 インドネシア大学言語証明書プログラム卒
2016-2018 スプロットショー・カレッジ卒(IT+CWE(幼児教育・基本的なアイティー+共通脆弱性分野))
2020~“HugMe”インターナショナルスクール浜松, 英語の講師として赴任

モンゴル語、英語、日本語、インドネシア語、ロシア語を話すマルチリンガル