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インターカルチュラル・シティ:活躍する外国人市民インタビュー Vol.8【戴 周杰(タイ・シュウキ)さん】

日本の伝統文化に魅了され来日
日本を知れば知るほど探求心が深まります

木下惠介記念館(浜松市旧浜松銀行協会)担当キュレーター
戴 周杰(タイ・シュウキ)さん

「はままつ映画祭」2021特別上映会「象は静かに座っている」_トークゲスト

今回のお話は木下惠介記念館(浜松市旧浜松銀行協会)でキュレーターとして活躍している中国出身の戴 周杰(タイ・シュウキ)さんです。2015年に中国の映画を専門とする国立大学・北京電影学院の広告監督専攻卒業後に来日。その後、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修士課程修了、同大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻研究生課程を終了し、現在は木下惠介記念館・浜松市鴨江アートセンターで働きながら、静岡文化芸術大学の大学院でアートマネージメント、文化政策について学んでいます。来日のきっかけや日本と中国の映画製作違い、日本の伝統文化の魅力などについて伺いました。   (聞き手:三井 忍)

~来日したきっかけを教えてください

子どもの頃から日本のアニメとゲームが好きで日本文化に興味がありました。特に好きだったのが「ポケモン」や「ドラえもん」などでした。北京電影学院在学中に初めて見た日本映画が木下惠介監督の「楢山節考(ならやまぶしこう)」という映画です。日本の伝統文化である歌舞伎や能の世界観に魅了され実際に日本文化触れてみたいと強く思い日本の大学院に行くことを決めました。

~子どもの頃の日本のイメージはどんな感じでしたでしょうか

学校教育で避けて通れないのは過去の戦争の出来事です。その時に感じたのは「日本は怖い国」という印象でした。子どもながらに怖い国の人がポケモンやドラえもんなど勇気と夢を与えてくれるアニメをどうして作れるのだろうと思っていましたが、実際に日本で生活し日本人の優しさに触れ自分自身で納得しました。

~監督専攻がある大学を選んだ理由を教えてください

実は絵を描くことが大好きで美術関係の大学に進学したいと思っていました。高校の進路相談で行きたい美術系の大学に進学するのは難しいと言われ、美大は断念しました。美術の次に興味を持っていたのが映像・テレビ関連の仕事でした。映像に携わる仕事に関連する国立大学として北京電影学院を受験しました。

~国立大学の北京電影学院に入るのはとても難しいと聞きました

中国国内のトップクラスの大学で、合格率は0.42%です。中国国内で一つしかない国立の映画大学ということで人気があります。

~日本語はどのくらいでマスターされたのでしょうか

北京の大学卒業後に東京藝術大学に進学が決まっていたので9カ月間で学業に支障ない位のレベルまで日本語を習得しました。日本語学校での授業だけでは足りず、日本語を話す機会を自分からたくさんつくり勉強しました。

~尊敬語や謙譲語もうまく使い分けて完璧ですね

まだまだな部分もありますが、仕事柄、目上の方や文化人の方などと接する機会が多いため、丁寧な日本語を使うように心がけています。

~来日して7年。浜松での暮らしは3年目ですが、浜松の印象を教えてください

浜松に来る前は東京や横浜に住んでいました。赴任するまで浜松という場所を知りませんでしたが、住んでみると人と人との距離が近く、地元の人との関係性が深くとても心地よい場所だと感じています。都会は殺伐とした雰囲気で息が詰まる感じがしましたが、浜松に来てからは毎日こころ穏やかに過ごすことができています。みなさんとても優しくて感謝しかありません。

東京藝術大学_企画上映会「GA×FM」開場のご挨拶

2015年東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修士課程に入学。卒業後、東京都写真美術館の映像部門にインターンとして活動しながら、さらに日本文化に理解を深めようと日本で就職活動をはじめた戴 周杰さん。コロナ禍でもあり北京に帰る選択肢もあったそうですが、偶然、中国で初めて見た映画監督の記念館の募集があり試験を受けて見事合格。2020年4月から木下惠介記念館に勤務し、映画に関する全てのイベント企画プロデュースを担当。現在は働きながら静岡文化芸術大学の大学院でアートマネージメント、文化政策について学んでいるそうです。次の章では現在の仕事について伺います。

両国を客観的な立場からみられる自分だからこそ 中国と日本の架け橋になりたい

~中国で初めて見た映画が木下惠介監督の「楢山節考(ならやまぶしこう)」だそうですが、日本文化に強く興味を持った監督の記念館に就職したことはどう思いますか

不思議な縁を感じます。北京の大学で木下惠介監督の映画を見て日本に行こうと思いましたのでこんな偶然があるのかと思いました。外国人が日本の文化施設で働けるようなモデルケースになれるよう頑張ってほしいとインターン先の先輩や大学の先生から言われていましたので合格して本当にうれしかったです。

~現在の仕事内容について聞かせてください

今年は木下惠介監督の生誕110周年です。記念シンポジウムの企画や、毎月第3日曜日に開いている上映会、外部の映画研究者を招いての講演会の企画、映画を多角的に分析するトークイベントやワークショップ、広報活動、展覧会の企画など多岐にわたります。キュレーターは一人しかいませんので映画にかかわる全ての仕事をさせていただいております。

木下惠介記念館_特別展示「正吉から惠介」ギャラリートーク

~監督作品15分の短編映画「魚香寿司」(2015)を出品したイラン国際映画祭に行ったことで映画への想いが変わったそうですね

イランの映画祭に行き、映画に対する価値観ががらりと変わりました。それまでは「映画監督になりたい」という想いだけでしたが、映画祭は会場をプロデュースする人、映画を評価する人など映画を多方面から支える人たちが集まっており、色々な人と接するなかで、総合的に映画にかかわる仕事に興味を持ちました。東京藝術大学では最初に映像研究科映画専攻修士課程を修了してからさらに勉強を重ねるため、国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻研究生課程でも学びました。映画を作る人、それを支える人、両方の立場を勉強することができ、映画への価値観も変わりました。

~そして現在は静岡文化芸術大学の大学院に通っているそうですね

アートマネージメントコースに在籍しています。木下惠介記念館の館長も静岡文化芸術大学の出身で、学ぶことに賛成をしてくれました。大学では理論を学び職場で実践をしています。最高の環境で学ぶことができていることに感謝です。

~日本と中国の映画制作の違いについて教えてください

中国は検閲が厳しく「政治」「ホラー」「宗教」に関する映画を製作することがなかなか難しいです。日本は表現の自由を尊重している国なのでどんなジャンルの映画も作ることができます。中国人の監督は表現の自由を求め、海外で活躍している方が多いのが現状です。

~これからについて聞かせてください

中国と日本を客観的にみることができるため、両国の良いところをたくさんお互いの国に伝え、架け橋となるのが夢です。映画という一つのツールでお互いの国がともに良い方向性に進んでいけたらと願っています。

~今後の活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。

(取材時期:2022年9月)

戴 周杰(タイ・シュウキ)
1993年 中国湖南省岳陽市生まれ。
2015年 中国北京電影学院広告監督専攻卒業後、来日。
2018年 東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修士課程修了。
2020年 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻研究生課程終了。
2020年 東京都写真美術館映像部門インターンおよび第12回恵比寿映像祭アシスタント在籍終了。
2020年 木下惠介記念館・浜松市鴨江アートセンターに就職。キュレーターとして活躍中。